機関紙「シャローム」より
2021年9月30日発行 №349 第2面

みなさんは、『納得解』もしくは『最適解』という言葉を聞いたことがありますか?
最近の教育界で頻繁に言われるようになりました。
納得解について考えるうえで、とても有名な問題が「700/800問題」です。
東日本大震災の後、被災した方々にロールケーキを700個届けようとしたが、
断られるということがありました。
理由は、避難されていた方々は800人いるので、
一人に一つ渡せない、数が足りない、ということだったと言われています。
この判断をしたのは、避難所の代表を務めた教頭先生だったといいます。
ただ、代表の教頭先生がロールケーキを受け取らなかった背景には、
単純に数の問題だけでなく、アレルギーの問題や衛生上の問題などの
食の安全性について考えたのではないかと思います。そして、
教頭先生に賛同する方も周りにいたのではないか?と推測するのです。
このような状況下であっても、多数の方に賛同してもらえる解、
すなわち『納得解』を考える力が今後の社会に必要な力だと言われているのです。

さて、それでは『死』の問題に対して、
みなさんはどのような『解』を持っておられるでしょうか?
多くの方々が『死』の問題に対して様々な『解』を出しています。
「死んだら終わりだから今を大切に!」や、
地域の文化や先祖代々伝わる死生観を大事にしているものが
支持されているように思います。
クリスチャンは、日本に限って言えば、人口の1%未満しかいません。
多くの方の納得を得られていないということでしょう。
しかし、皆さんは本当に『死』の問題を解決されていますか?
多くの方が持っている宗教観、死生観の方が
社会的に安心できる考え方だからと、納得しているのではありませんか?

聖書には
『いのちに至る門は小さく、その道は狭く、
それを見いだすものはまれです。』と
書いてあります。
残念ながら、私たちには『罪』があります。
罪の問題が解決されていない人がどれほど多く集まっても、
死の問題の前には無力なのです。
多数の考え方=真理ではないのです。
『解』は、罪の問題に縛られない方にあります。
その方は、唯一「イエス・キリスト」なのです。
あなたはどこに『解』を求められますか?
聖書の語る『解』であるイエス・キリストについて
考えていただけることをお勧めいたします。

By izumi

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